月別アーカイブ: 2013年9月

「僕」   2011年  1月~2月 

何だかんだと月日が経つのは早いもので、もう2011年になってしまった。
お正月はお母さんのお姉さんが来たり何かのんびりと過ごした。
地震による異常を感じるようになってから、お母さんは魔除けグッズを集め始め玄関や寝室に飾り始めた。
お母さんいわく「何か起こりそう」な予感がしたんだって。

その日はお父さんとお母さんはお休みで、まったりとしていた。
僕はふっと窓の外を見ると、隣の土地に人がいた。何をしているのかなって見ていると地盤調査をしている様子だった。
お母さんも気が付いたらしく「あらっ、お隣に家が建つのかしら。」ってお父さんに言っていた。
その人は大きな青い色をした機械を作動していた。
「ふーん、機械で測定するんだねー。うちは手動だったんだっけ。」なんて呑気な事を言っている。
午前中から始まって午後になっても作業していた。
お母さんが「何か変じゃない?うちの地盤調査はあっと言う間にと言うか私達が到着した時には終わってたよ。」お父さんも「う~ん、そうだったよね。」と言うか早いかお母さんは玄関に行って「ちょっと聞いてくる。」って。そこで、お母さんが作業者の方としばらく話をしていた。お父さんが心配そうに家の中から見ていると、お母さんが鼻息荒く帰ってきて「ちょっと、ここの地盤は凄く悪いんだって!!杭を何本も打たないと駄目だって言ってたわよ、私達の家はただのべた基礎よね。」って2人でこの家の土地の地盤調査報告書を探し始めたが、いくら探しても無い。
あっ!無いはずだよ。だって最初の営業員さんが住所の番地を間違えたから訂正しますって持っていったきり持って来ないもん。

 

お母さんはまたまた鼻息を荒くしてラベンダー色の前のお家へ出かけた。
そしてそのお家のお父さんに話を聞いていた。
バタバタと帰ってくるとお父さんに「前の家の方はね、15年前に建てたんだけども、ハウスメーカーさんに西が弱いですって言われてね、なんらかの地盤改良したんだって!!そしてね平成17年の8月にほーら私達お盆で会津に旅行に行ってた時、けっこう大きな地震きたじゃない。その時、前の道路に亀裂が入って駐車場が落ちたんだって。」
「このお家はなーんにもやってないから、こんなに地震が来る度に異常な位揺れるのよ!!」って大興奮。
さっそく工事を請け負った展示場に電話して事情を話して、もう別の地盤調査会社専門の所にもう一度地盤調査を依頼するって言ったら、それは駄目です、って言って統括責任者がすぐ伺いますと本当にすぐ来た。
その時今だ渡されてなかった我が家の地盤調査報告書を持ってきてもらった。

僕はときどきお父さんとお母さんを見ていて思う。
よく、ことわざで「石橋を叩いて渡る。」と言うのがあるが、お父さんとはどちらかと言うと渡る前にとりあえずお母さんを呼んでくるタイプ。お母さんはお構いなしに叩きもせず、えーい落ちたら落ちただって突き進むタイプ。思ったらそく行動あるのみ!
お母さんはの座右の銘は「聞くのはひと時の恥、聞かぬは一生の恥。」
お父さんはそんなお母さんを「頼もしい背中だね~。」って感心している。

お母さんはまるで特攻隊長だねって言ったら鼻の穴を膨らませてた。
お父さんの役目は?って聞いてみたら、ニッコリ笑って「隠し玉。」だって。
変な夫婦・・・・・・

 

「僕」   2010年  秋~冬

息子さんの手術も無事に終わった。
息子さんは少~し家でおとなしくしていたが、2週間も過ぎると仕事に復帰し、またエネルギッシュに活動するようになり、お母さんも一安心したようだ。

「行ってらっしゃーい。」 今夜はお父さんの夜勤の週。
仕事に行くお父さんを見送ると、なんかお母さんの顔はニンマリ。
あー僕は始まるのかっと思った。僕は今夜は遅くまで寝れないなって・・・覚悟を決めた。
お母さんはサッサと片付けを済ませ、お風呂に入って今日の仕事は終わり!!ってスキップしながら、お父さんのオーディオルームに入っていった。
えーー!?お父さん以外触っては駄目なんじゃないの?
実はお父さんのいる時でないと音楽は聞けない。だってお母さんはチンプンカンプンだから。
でもお母さんも一人で音楽に酔いしれたいとお父さんにお願いした。
そしたらお父さんはお母さんも扱えるように簡単な操作方法を教え、お母さん専用のスピーカーを用意してくれた。 優しいね~  (本当は脅されたの?)
お父さんのレベルには届かないがそれでもお母さんは大満足のようで「いいね~。」って言いながら最初はソファーでおとなしく聞いている。
しばらくするとキッチンに消えお酒をもってきて、まるでヒロイン気取りで聞いている。
お母さんがいつも聞くのは大好きなMISIA!
だんだん乗ってきました。今度は一緒になって歌い始める。
これが、また音痴!!でも本人はなりきってノリノリなので僕は何も言えない。
そろそろ僕も限界がきて「もう寝ようよー明日も仕事でしょ。」って声をかけてみるけど無視されてしまう。
そうだよね~、まだ終わりじゃないもんね。この後フィナレーが待っている。
お母さんは家中の扉を開けるとタオルを振り回しながら踊って歌い回る。
そして大満足したら、怪獣のようなイビキをかいて寝てしまう。
僕はやっとホットしてお母さんの寝顔を見ながら、幸せそうだねって思う。
でもちょっとイビキうるさい・・・

「僕」   2010年  春~夏

僕達が最初に異変を感じたのは、引っ越しをしてまだ一ヶ月も経たない3月13、14日の2日間に福島県沖で地震が発生した。福島市の震度は震度4だったが僕は初めての地震にビックリ!
お父さんとお母さんもビックリでテレビを押さえるのに必死だった。
やんちゃな息子さんも2階から降りてきて「何?何?!この地震大きいよ!」って。
どんな感じって、家が波打つような感じ。震度4には感じられず、もっと大きい震度だと思った。
幸いまだオーディオ類達はまだ僕の家には設置されてなかったので、倒れてしまうとかの被害はなかった。
それにしても揺れたねって、でもこのお家は震度7まで耐えられるって工務店の人が言ってたからねって、みんなで話をしていた。

2010年は地震が多いのだろうか・・・?    それにしても地震が来るたびよく揺れる。
震度3位の地震では飾り棚に置いてある時計や小物が落ちるようになった。
破魔矢が落ちて折れた時には不吉な予感がした。
6月の13日にも震度4の地震が来た。僕はみんな外出していて一人で留守番していたので、怖くて仕方なかった。早くみんなに帰ってきてほしいと思った。
しばらくしてお父さんとお母さんが帰ってきてくれた時にはホッとした。2人がリビングに入ってみると、スピーカー達がずれていた。壁に何度もぶつかった跡があった。  おかしいよね、だって震度4だよって僕は思った。

2人共だんだん地震に対して敏感になってきた。
夜中に地震がくると次の日お母さんは必ず職場で「昨夜、地震ありましたよね?」と聞くと職場の人達は「えー、本当?気づかなかった。」と言われる。    お母さんはいや、たしかに揺れた。気のせいではない。
揺れで目が覚めるのだから夢でもない。新聞をみると確かに地震はあったが、震度1か2位・・・
おかしいな・・・・・・っと思いはじめた。

そのうちお父さんが「昼間、ベットで寝てるとベットが揺れる。」って言い出した。
え~~怪奇現象??  お母さんが詳しくどうなるの?って聞いてみると、頭が西に沈むって。
お母さんもキッチンの備付の台がずれているのを発見していた。
でもまだその時もおかしいね~って位にしか感じなかったんだって。だって震度7まで耐えられるっていってたよ。そんな事を話しているうちにやんちゃな息子さんお2回目の手術日が決まりそれどころではなくなって忙しくなった。
僕は段々と不安になり、自信が無くなってきた。ちゃんと僕はみんなを守れるのだろうか・・・
ここの家の工務店の売りは「家は性能」

 

 

 

 

 

 

 

 

「僕」   2010年  冬~夏

なーんか違う・・・ その訳は、営業員さんの言うのには冬は暖かくて、夏は涼しいですよ、って言ってたのに違う。冬は寒くて、夏は暑い。
営業員さんは高気密、高断熱ですよって何回も言っていた。
そこでお母さんが、現場監督に聞いてみた所、「安齋さんの家は在来工法だから、違いますよ。」だって。

ガ~~~ン!!  そうだったのか!営業員さんが何度も何度も冬は暖かく、夏は涼しいですよって言うから
てっきり、お母さんは床暖房が設置していなくても、高気密、高断熱だと思っていたらしい。
どうりで、隙間風がリビングの隅からピューピュー入ってくるし、コンセントに手をあてると風がくる。
「風の又三郎でもいるのかねー。」って面白くもない冗談をいっていた。

だったら、ちゃんと説明してほしかった。
でも説明してくた営業員さんはまったく現れない。
あのね、お母さんみたく無知な人もいるのよ。
あまり過剰な説明はしないで、ありのままを説明すればいいじゃんと僕は思った。
別にだったら建てませんなんて言ってないのにねー。
それならそれで、冬はお風呂場の脱衣所にはハロゲンヒーターを置いて、お風呂を沸かす時は蓋を取って沸かせば寒くない。
夏はエアコンと扇風機を使えば涼しいじゃん。
家を建てる人の中にはちゃんと調べてプロ並みの知識のある人もいれば、お母さんみたく説明を真に受ける人もいるのよ。
ちょっと古いけど、プンプン!
やっぱり、一番は誠意だと思った。

今、私が思う事。

今日は東日本大震災から2年6ヶ月が過ぎた。
だいぶ、朝晩は涼しくなってきたが、まだ日中は蒸し暑い。暑さ寒さも彼岸までと言うので、もう少しの辛抱だが、今度は寒い冬がやってくる。
被災者の人達はそれぞれ、色んな想いで今日と言う日を過ごしているのだろう。

最近はテレビでの報道も少なくなってきたように思える。
なんせ2020年に東京でのオリンピックが開催されるので、話題は持ちきりだ。
東京でのオリンピック開催は、それはそれはみんなの夢で経済効果も凄い事になるだろう。
私も東京でのオリンピック開催は嬉しいし、楽しみでもある。
でも、被災地の事も忘れないでほしい。
このまま風化されてしまうのではないかと言う不安もある。
原発で避難されている方々、津波で辛い経験をなされた方々の報道は目にするが、私達、住宅に関係する報道はほとんど伝えられていない。
確かにこういった問題は難しいのかも知れないが、震度5強の地震で築1年の家が全壊してしまうというのはありえるのだろうか。

ひさびさにSさんの「地盤は自分で調べる・・・」のブログを拝見してみたら、100件にもなっていて驚いた。
それだけ皆さん関心があるのかなとも思ったが・・・
その中で契約時に予算オーバーで揉めたので地盤改良を軽視したのではないか・・・と言う書き込みがありましたが、一体誰が一番大事な基礎の部分を軽視したりケチったりするのでしょうか。
基礎がしっかりしてないと建物がいくら立派でも駄目になるのは私達でも解りますし、理解してますよ。
現に他のハウスメーカーさんより「あそこは盛土と切土がまじってますので注意してください」と指摘を受けたのもちゃんと、当時の営業担当には伝えております。
予算オーバーの件は部屋の大きさです。
皆さんは地盤調査の件が気になっていると思うので、この件に関してはのちのち物語の中で書こうと思ってます。
それと、せっかく問い合わせの欄を設けたんですから、別の場所で論じるのではなく、直接こちらに問い合わせた方が良いと思います。ただし、裁判中との事もありますので、すべての質問にはお答えできるかは解りません。
Sさんは直接現場を見ていないと773さんからの指摘があったと思いますが、私もその通りだと思います。
茨城県にお住まいになっていますのなら、高速を使えば日帰りで福島の現地に来れると思います。
この家が解体される前でしたら、いつでも案内しますよ。日にちと時間もSさんに合わせますよ。

こういった事をブログ上で掲載するのであれば、ちゃんと現場を見てからの方がよろしいのではないかと思います。憶測で書くのではなく、真実をみてからの方がよいのではないでしょうか。
その他の皆様もこのお家を見学したいというのなら問い合わせメールで連絡下さい。
現に何名かの方々にはメールをいただいております。
もちろん内容を公開する気はありませんので、安心して下さい。

「僕」   2010年  6~7月

今度はお母さんの番だ。
お母さんの夢は芝生とウッドデッキ!
どちらかと言うとお母さんはアウトドア派。
芝生のある庭にウットデッキを作ってティータイムを楽しむのが夢だったんだって。
本当はティータイムじゃなくてビールを飲みたかったんでしょ!
「プハァ~~、あ~美味い!」ってね。
あまりよけいな事書くと、怖いので・・・

芝生を張り少し根ずくのを待ってウットデッキを作った。6畳もあるウットデッキで、夏になったら、ここで星空を見上げながら寝れるかもねって、いやいや蚊に刺されるよ。そしたらなんと言ったと思う?
蚊帳を吊るせば大丈夫よって。

芝生にホースで水を撒いていてくれているのが、長男の子供。お母さんにとっては初孫!img001
このお孫ちゃんとはかくれんぼをしたり、恐竜ごっこをして遊んだっけ。
かくれんぼは、あんまり広いので見つける事が出来ず、半泣きしてたのをお母さんが物陰から見ていてウケてた。    ひどいな~。
この写真は僕が一番好きな写真だ。というか僕のちゃんとした写真は残念ながら無い。
きちんとしていた頃の僕の写真を撮って無い事が今、2人をすごく後悔している。
なんせバタバタしていて、もうちょっと落ち着いたらと思っているうちに僕は壊れてしまった。
なんで撮らなかったんだろう・・・・・・今になってはわからない。
けれども家具達が入ってない時の写真は撮ってあるんだって。
唯一の救いです。

芝生の周りには季節の花々を植えて楽しみ、余ったスペースで家庭菜園を作るはずだったんだって。
そうやって一つ一つの夢が実現していくのを2人はとても嬉しそうだった。

そうして穏やかな日々が過ぎていくはずだった。
昼間はみんな仕事の行っているので僕は1人。
ただお父さんが夜勤の時は昼間いてくれるのであまり寂しくない。
たまに隣のラベンダー色のお姉さんの家からピアノの音色が聞こえて、心地よい気持ちになる。

僕はこの家に誕生してきて本当に良かっと思った。

「僕」   2010年  春 4月

今日は待ちに待ったお父さんのオーディオ類達が僕のお家にやってくる。
いつもはお母さんに起こされても中々起きてこないのに、この日は起こされる前に起きてソワソワしていた。
車の音が聞こえると、お父さんは満面の笑みでお出迎え。
お母さん、ちょっぴり ヤキモチ・・・

オーディオ専門の方々、総勢4人でやってきた。
まずはオーディオルーム!
お父さんの好きな音は臨場感にあふれ、生演奏の音がいかに自宅で再現出来るのかに挑戦している。
まだ途中だが70%位は達成しているが、まだまだ研究の途中だそうだ。
環境も整えなくてはいけないので、広い土地を選んだ訳。

それと、それに伴った機材。
まず、JBLのスピーカー。マッキントシュのアンプ。
MC275の真空管、これは高域用でバイワイヤーで聞いていた。
MC500は低域用。
C42はコントロールのアンプ。
レコードプレイヤーはやはり、オーディオ大好きな先輩が自作した物を譲りうけていた。
もちろん電源ケーブルも通常のケーブルではなく専用のケーブルを使用していた。

これで音楽を聴くともう最高!僕も一緒になってうっとりして聴いていた。
音楽とは、楽器の音とはこういうものなかと初めて解った。
お母さんが何も文句を言わなくなった訳、わかりました。

そしてシアタールーム!
普通は5.1chサラウンドシステムが主流らしいが、いやいやお父さんのは6.1chサラウンドシステムです。
メインスピーカー 2台
サラウンドスピーカー 2台
サブウーハー     2台
センタースピーカーがフロント、リアで2台

これに100インチのスクリーンが下りてきて、映画見てごらん!
特にアクション映画やSF映画は言葉では言い表せない位音が駆け巡る。
お父さんは映画館のよりこっちの音の方が凄いだろ~と自慢する。
またお父さんとお母さんはMISIAの大ファンなので、DVDを観て感激して、すっかりプクプク体型になってしまったお母さんは一緒なって踊っている。
本当にコンサートさまがらの迫力です。

でもお母さんは触るのは禁止。唯一スクリーンの上げ下げのリモコンだけ触っていいんだって。
お母さんは下手に触っておかしくなってしまったら、大変だから、その言いつけを忠実に守りスクリーンのリモコンを上げたり、下げたりして喜んでいる。

全部のセッティングが終わる頃にはすっかり日も暮れてきて、オーディオ屋さん達が帰って行き部屋に戻って来たお父さんはオーディオ類達を見まわした後、これまでに見た事もない優しくて可愛い顔をしていたんだって。
よっぽど愛おしいんだね。
お母さんちょっぴり上のヤキモチ・・・

このお話には続きがあり、震災後の今年(2013年)思い切って展示会に行ったんだって。
お母さんはまたお父さんが落ち込んでしまうのではないかと少し心配だったらしいけれども、お父さんのたっての希望で郡山のビックパレットまで行く事にした。
展示場に入って行ったお父さんの目はまんまる!
時代は4Kの世界だった。私達ってもしかして浦島太郎???
食い入るようにスピーカーやアンプを眺めるお父さんを見て、お母さんはヤバイと思って、「私はロビーで待っているね。」って言ったのに聞こえているのか、聞こえて無いのかフラフラと4Kのシアタールームに吸い込まれて行った。
一体どの位の時間が過ぎたのか、シアタールームから出てきたお父さんの目のなかには少女マンガみたいに☆☆があったんだって!!
そしてニコニコしながらまた両手いっぱいのパンフレットを持ってたんだって。
とりあえず、お母さんは見なかった事にしたらしい。

 

「僕」  2010年   3月

出だしは最悪な引き渡しとなったが、新しい生活が始まった。
いつまでもクヨクヨしていても仕方ないし、あの営業員さんは2週間後のアフター訪問来ますと言っていたのに2度と現れなくなった。
僕も顔も見たくないから  いいやって思った。
すっかり変テコな形になったテレビボードも今までのいきさつをすべて統括責任者に伝えて直してもらった。
けれどもオーディオ類達は結局入らなかった。

新しい生活はお母さんには驚きの連続だったらしい。
お母さんのお城はキッチン、念願のL字型!!  ひろ~~い。
流しの高さもお母さんの身長に合わせて90cmにしてもらったからもう腰も痛くない。
お母さんは食洗機に興味があるらしく、なんこんなに綺麗に洗えるのかしらね、これがスケルトンだったら見れるのにねーって。
IHもなんで電気で料理ができるのかしらねーって。
あげくのはてにはグリルは使うと汚れるから単品で売っている魚焼きグリルを買おうと言い出すしまつ。
さすがにそれは家族に反対されました。

お母さんは朝も早い。早い時は4時30分頃から起き出して掃除を始める。
「お母さん、僕はもうちょっと眠いよ~、なんでそんなに早く起きるのー?」
「だってね、嬉しくて嬉しくて仕方ないのよ。こんな素敵な家で暮らせるのがって言ってモップで僕をコチョコチョする。   くすぐったいよ~。
「お家はね子供と同じなの、ちゃんと手をかけてお手入れしてあげないとね。」
「それじゃぁ僕はお父さんとお母さんの子供なの?」
「あたりまえじゃない!大事で大切な子どもよ。これからずーと一緒に時を重ねていくのよ、宜しくね。」
う~ん  ちょっと照れるけれども嬉しいな。こちらこそ宜しくお願いします。

インターホンの保護シールも給湯のお知らせのシールも剥がしてしまうと指紋で汚れるからってお母さんは剥がさない。   壊れてしまった今でも剥がさない。

そういう訳で僕はいつもピカピカだ!

 

「僕」  2010年  2月

いよいよ僕の引き渡しの時がきた!
でもお父さんは朝から機嫌が悪い。なぜかと言うとちゃんと寸法を測ってもらっていたオーディオ類達がテレビボードに入ると言っていたのに入らないのだ。
形状も何だか変な形に変えられた。
電気屋さんにもこうしてほしいと頼んでいたのにしてくれない。
営業員さんは残工事だと言っていたが、展示場に同じのあったじゃない・・・
一番最初の営業員さんも是非立ち合いたいといってきたので、来ていた。

お父さんはオーディオ類達のためになると人が変わってしまう。
そうなるとお母さんも何も言えない。
とうとうお父さんが我慢できなくなってしまい声を荒げるとなんと営業員さんが逆切れしてきて怒鳴りかえしてきた!
僕はビックリした。
お父さんと営業員さんの怒鳴り声が響く!
お父さんが「なんで3回も寸法書いた紙を渡しているのにできないんだ!」
と言ったら最初の営業員さんは「僕はウーハーの寸法しか計ってないですよ。それとね、お客さんは大工さんとは直接話は出来ないのですよ。」と耳を疑うような返事が返ってきた。

その時2人のやり取りをポカンと見ていたお母さんが「プチン!」と切れた。

「やめてくだい!!」と・・・
「家は生きているんです。良い気も悪い気も吸収してしまうんです。なんでこの引き渡しの日にあなたに怒鳴られなくてはいけないのですか!やめてください!」と・・・
そして泣き出してしまいその後は言葉にならなかった。
大泣きしはじめた。

せっかくのお祝いの日にお母さんは営業員さん達の為にもお弁当をたのみ、みんなで食事でもしようと思ってたらしいが台無しになってしまった。
お弁当は持って帰ってもらった。

お母さんはずーと泣いている。
お父さんは「ごめんね・・・」って誤っている。
お母さん泣きやまない。

僕は悲しかった。
とても悲しかった。
言葉では言い表せないくらい   悲しかった。

「僕」   2009年   秋~冬

地鎮祭が終わり、基礎工事にはいった。
時間がある時はお父さんとお母さんは何度も足を運んだ。
なんだか法面ギリギリにより過ぎているような気もしたが、大丈夫と言うので大丈夫だと思ったらしい。
上棟式が終わると、あれよあれよと言う間に僕が出来上がってきた。
大工さんは夜遅くまで仕事をしている時もありお父さんが仕事帰り道路から上を見ると明かりがついている時もあった。

お父さんは長年の夢だったオーディオルムとシアタールールが出来るのが嬉しくて仕方ないらしく、営業員さんや設計士さんに3回もオーディオ類達の寸法を書いた紙を渡していた。
(前の営業員さんはお父さんの実家に行き実際に寸法を測り写真まで撮っていった。また福島では有名なオーディオ屋さんにも一緒に行ってもらい、どのような仕様が一番良いのか店長さんに話をしてもらっていた。)

それほど楽しみにしていた。
お母さんは「男の人の趣味は解らないわね~」とぼやいていた時があったらしい。
なんせ結婚が決まってからお父さんはお母さんに内緒でマッキントッシュのアンプやら何とかかんとかのパワーアンプやら総額100万円もする買い物をしていた。

あとでお母さんにばれて「誰が払うのよ!」って怒られたらお父さんは「そりゃお母さんが働いて・・・」だって
お母さんは開いた口がふさがらなかったらしいが何回かオーディオの音を聞いているうちにすっかり自分も虜になってしまい、「まぁ いいか」とお父さんの趣味に理解を示すようになり、それから口を出さないようにしたが、オーディオの展示会には必ず同伴するようにしたんだって。
だって危ないからね~。
でもお母さんはお父さんが本当に嬉しそうにオーディオをいじっている顔が大好きなんだって。