月別アーカイブ: 2013年10月

「僕」  2013年  10月  家屋解体の日程

僕の解体の日が決まった。
それは11月18日(月)の週からだ。
天候の具合により、はっきりとした日はわからない。
でも確実にお別れの日は近づいている。
覚悟はしていたけれども、その日が近づくにつれ何ともいえない悲しさや寂しさや怒りがこみあげてくる。
解体業者の方達が僕を見に来た時、「もったいない、もったいない。」と連呼していた。
「でも、これじゃ住めないよな~、中は傾きと壊れ方が凄いね。」って。
僕も本当にそう思う。だって一年だよ。
それもあれほど地震に強い家なので安心してくださいって言ってたのに・・・・・・

最近お母さんは天気の良い日には必ず僕に逢いに来てくれる。
そしてお掃除をしている。
僕は「お母さん、何やっているの?今さらお掃除しても僕はもう解体されるんだよ。」そう聞いてみると
「だからお掃除するの。僕はもう傾きも酷くてキズだらけで、ほこりも凄いし、このまま解体されるのはお母さんは耐えられない。
だから、せめて最後にもう一度ピカピカにするの。そして僕を送り出したい。
お母さんの自己満足かもしれないけれども最後に僕にお母さんからしてあげられるのは、これしかないと思ったの。」
僕は嬉しかった。そりゃ埃だらけで解体されるよりは綺麗な方が嬉しいけれども、何だかその分いっそう悲しくなる。
「お母さん、僕がいなくなっても大丈夫?」
「たぶん、駄目だと思う。今はまだ僕がこうしてこの場所に建っているけれども、解体されて更地になるなんて想像できない。悲しいし、寂しいし、悔しいよ。今は感情をコントロールするのに必死なのよ。」
そう言ってまた黙々とお掃除を始める。
あ~そうだよね。これからっていう時にこれから想い出がたくさんできるはずだったのにね。
なんで営業員さんは地盤調査報告書に間違った記載をしたのだろう?きちんと本当の現場状況を地盤調査課へ送っていて、僕の建つ位置が決まっていたのなら、また違う結果だったんじゃないかと僕は思った。

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「僕」   2013年  10月13日  バーベキューパーティー

とっても楽しかったよ!バーベキューパーティー。
願いが通じたのか、少し風は強かったけれども天気も晴れて、あまり寒くもなくできた。

お父さんとお母さんは朝から忙しく注文していた食材を取りに行ったり、みんなを迎える入れる準備に追われていた。
倉庫にしまって置いたバーベキューセットやパラソルも持ってきてやっと活躍できたよ。
でも、たった一日だったけれども・・・
やっぱりこのパラソルはこのお家やお庭にすごく映えて僕はかっこいい~と思った。

みんなが到着すると、お母さんはさっそくお家の中を案内していた。
「ここがリビングで、ほらほらここから100インチのスクリーンが下りてきてね、みんなで映画をみてたの。そしてここがキッチン。見て~食洗機も付いていて広いでしょう~、ここで料理の腕を振るったのよ。」
まるで新築祝いの案内しているみたい。
みんなも「ほぉー、お風呂広いね。4人位ではいれるんじゃない。」なんてその気になって2階のお孫ちゃんの部屋もお母さんは自慢げに案内していた。
でも誰かが「しかし、傾きと壊れ方が酷いね。あまり中に居ると気持ち悪くなるね。」って・・・・・・とたんお母さん達は現実に引き戻されて「外にでようか。」ってお庭に引き返した。

ちょうど火も起きてきて、みんなで乾杯をしてバーベキューパーティーは始まった。
お肉や野菜や海鮮類など色々焼いてみんないっぱい食べて、いっぱい飲んで笑い声にあふれて、とても楽しいひと時だった。
僕は僕が誕生してから、このお家でこのお庭でみんな集まって、バーベキューパーティーをするのが夢だった。その夢が今日叶った。
たった一日だけの最初で最後のバーベキューパーティーだったけれども僕はとても満足した。
ありがとうと何度も思った。

そして段々と日が暮れてあたりが薄暗くなると、今度はウットデッキに隣接している寝室だった所に上がりまたおしゃべりを繰り返した。
ランプの明かりをともし、まるでキャンプみたいだねって。
本格的に暗くなってしまったので、みんなも名残惜しそうだったけれども、それぞれの家路に帰って行った。
みんなを送りだしお父さんとお母さん2人だけになっても中々帰ろうとはしなかった。
「僕、楽しかった?」ってお母さんに聞かれた。
「もちろん楽しかったよ!だってお母さんの2人の息子さん達家族にも逢えたし、おばあちゃんも来てくれたし、お友達も来てくれて、こんなにこの僕のお家に笑い声があふれたのは初めてだよね。」って答えると、お母さんは泣き笑いのような、なんともいえない顔で「うん。」と答えて僕に頬ずりしてくれた。
お父さんは「僕が解体されて更地になっても、またこの場所でバーベキューパーティーしよう!。」って言ってくれた。え~~、でも僕はもう居ないじゃん。
その時僕はラベンダー色のお姉さんが言っていた言葉を思いだした。
「お父さんとお母さんが僕を忘れないかぎり、心の中で僕はいるのよ。」って。
そうだよね、僕が解体されて姿が無くなってしまっても、いつまでもお父さんとお母さんの心の中に僕はいるよね。

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「お知らせ」

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「僕」   2013年  10月

僕の「お別れ会のバーベキューパーティー」の日が決まった。
それは明日の13日の日曜日!!
10月に入り、お母さんは体調を崩してしまい一週間ほど寝込んでしまった。
今週に入り元気になって毎日草むしりに僕の所に通って来てくれる。
あんなにボウボウだった草もすっかりきれいになった。
毎日お母さんが来てくれて僕は嬉しかった。
2人で色んなお話をして笑ったり、ちょっと涙ぐんだお話をしたり久しぶりに僕の家に人がいるなって実感した。お父さんは仮設トイレをレンタルしてくれて、お母さんは寝室を綺麗に掃除して休憩室にするのって言ってた。
段々と準備が進む中で僕は楽しみでみんなに逢えるのが嬉しい。
特にやんちゃな息子さんは昨年結婚して、2人の女の子のパパとなっていた。
本当だったらこの僕の家で家族が増えて6人で生活するはずだった。
あんなにやんちゃで、いつもお母さんを困らせていたのに、今は家族を守るという立場になった息子さんに僕はぜひ逢いたかった。
それとは反対に僕が解体される日が近づいている寂しさや悲しみで複雑な気持ちになっていく。
それはお父さんとお母さんも同じ思いだと思う。
せめて明日は楽しくワイワイと最高のそして最初で最後のバーベキューパーティーをしようねって約束して2人は帰って行った。
明日、晴れるといいなー!!

草でボウボウだった僕のお庭。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

すっかり綺麗になった僕のお庭。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

 

「僕」   2011年  2月 地盤調査報告書

お母さんは地震保険に加入した。
僕を建てる時、営業員さんに「この建物は地震に強く震度7まで耐えられますので、地震保険に加入しなくても大丈夫ですよ。」って言われたけれども、もう信じないって。
お母さんに信じないと言われた時は僕はちょっと悲しかったけれども、僕も地震保険に加入した方が良いと思った。だって揺れるんだもん。明らかにおかしいと思っていた。

そして2月24日に再度地盤調査を行いに作業者の方々が来た。
前回の地盤調査では調査が終わった後に呼び出されて実際に調査を行っている現場は見ていない。
今回はお父さんもお母さんもランランと目を光らせて、その光景を見ていた。

一通りの説明を受けて早速、調査が始まった。
まず、芝生のある南側とウットデッキのある所、目立っておかしいとは思わなかった。
さて、問題の北西の角地にきた。
スクリュウ―ポイントがすーっと入っていったと言うか落ちていったような感じ。
2人とも顔を見合わせたが、作業者の方は顔色一つ変えず、大丈夫ですよって言った。
北東の角も同じくすーと入っていった。
本当に大丈夫なの?
後でお父さんとお母さんが話していたのだが、これほど異常を感じていると訴えているのに対し、床下に潜って基礎にヒビが入っていないかとか、レーザーポイントという機械を使ってちゃんと水平かどうか調べるという事もせず、外回りをサーと見ただけで終わりっては、あまりにも簡単すぎるのではないだろうか。

後日、地盤調査結果にかんする報告書を持参して「異常は無い。」と説明されたが、お母さんは信じない。
「書面で持って来られても納得できません。どうぞ一ヶ月この家にあなた方住んで下さい。そうすれば、地震の時どれだけ揺れるかわかりますから」って言ったら、工務店の方は「この家は震度7まで耐えられます。たとえ大きな地震がきても壁紙がピリピリと攀じれる位ですよ。」って言って帰って行った。

なぜこんなに信じないかと言うと前にもお話したけれども、最初の地盤調査には駆けつけた時にはもうすでに測定は終わっていて確認の写真を撮らされて、その報告書は手元に無い。
こちらから申し出をしたら一年近くたってやっと持ってきた。
番地が間違っていたので訂正しますと言っていたが、番地は訂正されてなかった。

震災後、やっと戻ってきた地盤調査報告書を依頼した建築士さんに提出した所、実際の現場状況とは異なる誤った方角、高低差、隣地情報が記載されていた。
まず、東側隣接地には本当なら空地のはずなのに、なぜかラベンダー色のお姉さんのお家の写真が写っていた。西側は法面なのに北側の法面の写真が写っていた。
南側はラベンダー色のお姉さんの家なのに西側の法面の写真が、そして北側は法面なのに空地の写真が写っていた。
本当なら東側=空地   西側=法面   南側=宅地   北側=法面   なのに対しこの地盤調査報告書は  東側=宅地   西側=北の法面   南側=西の法面   北側=宅地 となっていた。
そして測定地点は角地にもかかわらず真ん中3点だけであった。

また高低差も北側は11mの法面に対し宅地となっているので、±0になっていた。
西側も高低差24~26mの法面なのに高低差-2~8の雑木林となっていた。
そして北側法面(高低差11m)  西側法面(高低差24~26m)のギリギリ角地に僕は建設されてしまった。