月別アーカイブ: 2013年8月

「僕」  2009年  9月  秋

「ぼく、 僕、起きて、ほら早く、起きてったら。」
どこか遠くで僕を呼ぶ声が聞こえる。
う~ん何?  そーと目を開けてみると、そこにはお父さんとお母さんの顔があった。
「ほら、起きて!僕の地鎮祭よ!」
「え!?地鎮祭?  地鎮祭!  えー僕の!?本当に? 僕が建つの!?」と半信半疑で飛び起きてあたりを見ると神社の宮司さんや工務店の方々がいた。
やんちゃな息子さんも病院から外出許可をもらって立っていた。
息子さんはちょっと照れたような感じで「よおっ」と言ってきた。
僕はあまりお母さんに心配かけないように文句の一つでも言いたかったが、お母さんが「まぁまぁ、今日は特別な日だから」って

厳かに地鎮祭が始まった。
住所を読み上げる時、番地が隣のラベンダー色のお姉さんの番地を読み上げた。
お父さんとお母さんの肩がピクッと震えた。
僕は「あちゃー、違うよ、その番地じゃないよー、なんでー?」
式の最中に中断も出来ず一通り終わった後、営業員さんが謝ってきた。
ちゃんとFAXで正式な住所を送りましたと。
これで3回目、契約時の番地、地盤調査報告書の番地、地鎮祭での番地、どれも隣のお姉さんの番地になっている。
その都度訂正しますと言うけれども・・・
たかが住所と思うかもしれないけれども、やっぱり間違えないでほしいと思う。
だって、お父さんとお母さんにとっては大切な事だと思うんだけどな・・・・・
ちょっと複雑な気持ち・・・

そしていよいよ僕が建ち始めた。

 

「僕」  2013年  8月11日  夏

今年の梅雨は中々明けてはくれず、やっと晴れ間が見える日がやってきたと思ったら猛暑だ。
どこかで、夏祭りのお囃子の音や花火の音が聞こえる。
今日はあの日から2年5ヶ月目の11日だ。

この前の休みの日お父さんとお母さんが久しぶりに来てくれた。
いつものとうり「ただいまー!」って言って家の中に入ってきてくれた。
一通りお家の中をお父さんとお母さんは確認するように一つ、一つ回っている。
いつもお父さんは家に来ると、オーディオルームから中々出てこない。
お部屋を回る時、いつもお母さんは僕を撫でてくれる。
僕を撫でてくれるお母さんの手は温かくて気持ち良い。
でもなんか今日は様子が違う。  久しぶりだから・・・・・・?
お父さんとお母さんは静かに僕に語りはじめた。

「え!?なんて言ったの?かおくかいたいって?」
家屋解体!? 僕は壊されるの?無くなってしまうの?」
お母さんは涙をポロポロ流して「ごめんね。」って僕に言った。
お父さんは涙を必死にこらえているのが分かった。

お母さんは僕を市役所の家屋解体に申し込んでいた。
(家屋解体とは、国の補助事業であり危険な建物等を早急に解体し二次災害等を防ぐのが目的)

お父さんとお母さんは僕が修復できないか、何人もの建築士さん達に見てもらった。
皆一応に首を横に振るだけで無理だと言う。
まして土地もやられてしまっているので、これは解体するしかないと言う。
僕を見て回った後、必ず「福島市の震度はいくつだったのですか?」と聞かれるので、
「震度5強です。」と答えると皆、首をかしげて黙ってしまう。
もうこの場所には戻ってこれない。

そうか、僕はとうとう壊されるのか・・・

本当は知っていた。
だって隣のラベンダー色の綺麗なお姉さんの家は今年、春先解体され更地になった。

このラベンダー色のお姉さんは最初僕が話かけても、子供の相手なんかしてられないわって感じで忙しく働いていた。
だって、お姉さんのお家は5人家族でいつも忙しそうだった。

でもね、東日本大震災の時は僕はお姉さんに励まされた。
ただ何が起きているの解らない僕を「しっかりして! 頑張って!!」って言ってくれ、その後僕の家やお姉さんの家には誰も帰ってこなくなり、僕がシクシクしていると、いつも慰めてくれた。
そして静かにお話してくれ僕は安心した。
お姉さんの家が解体される日、僕はなんと声をかけてよいかわからずにしていると、お姉さんが
「  僕、とうとうお別れの日が来てしまったわ。
私はこの家の家族と出逢えて幸せだった、たった15年ほどだったけれど・・・
本当はこの家の子供達の成長をもっと見たかった、この家のお父さんとお母さんとも、もっと一緒にいたかった。  でも大丈夫よ。
私がいなくなってもきっとこの家の家族の人達は私を忘れないでいてくれると思う。色んな事あったけど心の中でずーと一緒にいてくれると思う。だから僕も僕の家族の方たちは僕を忘れないでくれると思うわ。
忘れないかぎり心の中で私達はいるのよ。」って
そして静かに姿を消した。

僕はとうとう一人ぼっちになってしまった。
そして僕も近いうちに姿を消す事になるのだろうと思った。

お母さんの話では、それでも市役所の人に話をしてくれて待ってもらってたけど、もう期日が迫ってきたと言われてしまった。
僕がいなくなれば証拠が無くなる。
でもこのまま僕が建っていると危険だし解体費用もお父さんの負担になってしまう。
大人の事情なのかも知れないが僕は解るようで解らない。
ただ一つ解っているのは11月頃解体されるという事。

僕はわかってたんだよ、  お母さん・・・
そんなに泣かないで。
だから僕は最近、お母さんのブログをちょと拝借してるの。  そして僕の事書いてるの。
何人の人達がこのブログを見ているかわからないけれども、僕がいた事を忘れないでいてほしい。
たしかに僕がここに建っていた事を忘れないでいてほしい。
あの日、東日本大震災があった日。
津波で家や家族を大切な宝物を失った人々。
原発事故で避難を余儀なくされた人達。
人それぞれ色んなドラマがありまだ終わっていない。
そんな中の大きな出来事の中で僕の事はちっぽけかもしれないけれども・・・
確かに僕はここに建っていた事。たった一年だったけれども
忘れないでいてほしい。

お母さんの涙は止まらず、お父さんまで泣き出してしまった。
お父さんは一言「無念・・・」と言った。
僕はしばらくそっと見守る事にした。

お母さんが顔を上げて僕に語りかけた。
「今まで壊れたままでも頑張って建っていてくれてありがとう。痛かったよね、ごめんね」
と何度も謝る。
「そこでお父さんとも相談したのだけれども、最後に僕がずーとやりたかったバーベキューをしよう!
みんなに来てもらって楽しくワイワイしようね。」

「え~!!本当!?  やったー!
僕もやりたかったんだバーベキュー↑↑  ありがとう!楽しみだなー  ねぇ いつ?いつ?」
「そうねー、10月になって暑さも和らいできたらね。」
「えー、でもトイレも無いし水も出ないよ。」
「大丈夫、お父さんに任せなさい。」とお父さんが言ってくれた。
なかなか頼もしいじゃん! お父さん!
それから僕達はバーベキューパーティーにかんして、ここにこれを置いて、草も刈らなきゃとか
あーでもないこーでもないとお話した。
そしてお父さんとお母さんはアパートに帰っていった。

でも本当は僕のお別れ会なんでしょ?
知っているけれど誰もなにも言わない。

僕がこうしてここに建っていられるのもあとわずか・・・・・・
僕はここにいる。
そして僕の物語は続いていく。

 

 

 

「僕」   2009年   夏

この2ヵ月の間色んな事があった。
結局、営業員さんはお父さんとお母さんの信頼が戻らず、別の営業員さんが僕を引きついた。
7月にはお母さんの息子さんがバイクで事故を起こしてしまい、生死をさまよった。
幸い一命は取りとめが、3ヶ月の入院生活を送る事になり、僕の話も一時中断するという事になった。
お母さんはそれどころじゃないといった感じだ。

僕はもう生まれてこないかもしれない。
僕は深い闇の中に姿を消す事にした。

「僕」  2009年  春   

でも・・・・・・
話が進むにつれて、お父さんとお母さんは心配顔になってきている。
どうも営業員さんの話が段々と信用出来なくなってきているらしい。
コロコロと内容が変わり不信感が芽生えてきたという。、
「でも、前は現場監督していたって言ってたし、大丈夫なんじゃないの?」ってお母さんが言ってたり
お父さんは「大きな会社だからちゃんとしてると思うよ」って言ってた。
なんだか、色々あると僕も不安になってきた。

家族を守る家として、ちゃんと僕は建てられるのだろうか・・・・・・
モヤモヤとしたのが生まれてきた。

「僕」  2009年  春  5月

だんだんと僕が図面上で形になってきた。
間取りは5LDK
1階にはダイニングキッチン、リビング(シアタールーム)、和室、寝室、そしてオーディオルーム!
2階にはお母さんの息子さんの部屋が2室と、いつか息子さんが結婚して子供が産まれた時の為にお母さんは孫の部屋まで作った。
ここで僕の家族を紹介します。

このお家に住むのは、お父さん、お母さん、そしてお母さんの息子さんの3人だ。
実はお父さんは初婚だがお母さんは再婚だ。
お母さんは息子さんが2人いて、長男が3歳、次男が2歳になる前に残念ながら離婚してしまい女手一つで子供達を育ててきた。
その頃のお母さんの事は僕は知らないが子育てに必死だったらしい。
そして14年後お父さんにめぐり合えた。

当時、上の息子さんはすでに結婚をして子供にも恵まれお母さんの実家に住んでいた。
下の息子さんはまだ遊びたい盛りでまぁこれがやんちゃな息子であった。
お母さんはやんちゃな息子が心配で仕方なかった。
そんなお母さんの気持ちを分かってか、お父さんは家を建てる時には息子さんも一緒に住めるようにしようと言ってくた。
お母さんはその気持ちにとても嬉しく感謝していた。
お父さんとお母さんには子供がいない。と言うよりできない。
なぜなら、お母さんはお父さんより8歳も年上だから・・・

2人が出逢ったのはお父さんが31歳、お母さんが39歳の時だった。
お父さんは初めてお母さんを見た時、ズッキュ~ンときて恋に落ちたんだって。
大恋愛だったそうだ。
その頃のお母さんは今よりず~とず~と痩せていて可愛かったんだよってお父さんは言っていた。
僕は今のお母さんしか知らないが、可愛いと言うよりはたくましく見える。
だって今のお母さんはまるで・・・・・・・想像にお任せします。
そいいうお母さんもお父さんの事を「世界一かっこいい!」と言っているし、  ヤレヤレ

色々あったそうだが、お父さん37歳、お母さん44歳で2人は結婚した。
2人はとても仲が良い。いつも一緒に行動している。
お父さんは物静かで、温厚でめったに怒らない。いつもニコニコしている。
でも怒ったら怖い。僕の事で何回か工務店さんに怒った時は本当に怖かった。
あんなお父さんを見たのは初めてだったとお母さんは言っていた。
逆にお母さんはこれまた正反対で気が強い。
お母さんいわく、子供2人女手一つで育ててたらこうなったと言い訳しているけど。
何かというと10倍になって返ってくるのでお父さんは口答えしない。
でも本当に仲が良い。
いつだったかお母さんに「お父さんとは喧嘩しないの?」と聞いてみた。
そしたらお母さんは「まさかこの歳でお父さんと結婚できるなんて夢にも思わなかった。まるで若い女の子みたいにドキドキしてときめいて、恥ずかしいね~。」って年甲斐もなく真っ赤になっていた。
「でもね、ずーと一緒に居たいけれども、年齢から考えると普通の人の半分位しか一緒に居れない、だから
喧嘩する時間がもったいの。」ってコロコロ笑っていた。
聞いてる僕が恥ずかしくなってきた。

そういう訳で息子さんが結婚したら2階にお嫁さんも住んでもらって、2世帯住宅になる。
僕は賑やかなのが好きだ。
ちっちゃい子供の声は時にはうるさくと思う時もあるが静かだと心配になり、みんながリビングに集まって色んな話をして、一緒に食事をして、良い時もあればそうでない時もあるけれども。
そんな風景を僕も一緒にあじわって・・・
みんなが安心して住めるように僕がしっかりみんなを守るよって形になっていく度に思っていた。