「僕へ」

決して忘れていた訳では無く、毎日僕の事を想っているのだけれども、なかなか僕に手紙が書けず、今日まで至ってしまって・・・ごめんね。

時の流れというのは早いもので、もうあの日から6年が過ぎ、季節は移り変わり桜の花が咲き、すっかり春らしくなって来ました。

さて、僕に伝えなくてはならないのは、裁判は棄却されました。全壊した理由は地震が原因だからだそうです。残念でなりません。僕に手紙を書けなかった理由です。でも、どうしても納得がいかないので、仙台高裁に控訴をし、2月からまた裁判が始まりました。ここからはお母さんの意見を少し聞いてね。

昭和56年に新耐震基準ができた。新耐震基準では「震度6以上の地震でも倒れない住宅」と変わった。東日本大震災での福島市の震度は5強・・・で全壊。では、なぜ全壊してしまったのか、去年、設計測量会社に依頼をして正確な法面の長さを測ってもらった。そうした所、西側の法面は47.57m、北側は22.23mもあった。ここは完全な盛り土、その法面ギリギリの角地に僕は建てられた。今考えると、とても怖い場所に僕は建てられたのよね。一条工務店はここは危険な場所だとは認識していたのだろうか、いなかったのだろうか。「本当は怖い地盤の実態、造成地の危険性」というのを一条工務店はホームページで掲載している。ここでは造成地盤の危険性を訴えているが、まさにこの造成地は僕の事をあらわしているように思える。一条工務店の担当の方は、ここは適正な造成地だからと言うのはどのような判断だったのか教えてほしい。

6年という時間はお母さんにとってはあっと言うまに過ぎていくような感じで、時間に追いつくのがやっとです。もう、日差しは暑いのに、まだ冬物を着ていてなぜこんなに暑いのかとカレンダーを見て、あっ!もう5月なんだとか寒くなってきても気づかずに半袖を着ていて、またカレンダーを見て、もう冬じゃん!と言う感じで時間が早すぎて、やっぱりお母さんの中では時は止まっているままです。そんな中、この前といっても1月の話でテレビを見ていたら、震災後の自殺者が最近増えてきていると言う。その中で2014年に避難解除となった川内村に帰還して、結婚した若い夫婦が、その3年後に自ら命を絶ってしまった。集落を見渡せる山で命を絶ってしまった。なぜ、新婚で幸せいっぱいのはずの夫婦が自殺しなければいけなかったのか。夫婦はお米を作っていたというが、風評被害で売れなくなった。放射能は検出されず、地区で行われた品評会でも1位になったという。色んな意見があるとは思うが、いっぱい、いっぱい頑張ったんだと思う。テレビの取材で夫婦仲良く、バーベキューをして、未来を笑顔で語っていた姿の先は未来だったのか、希望だったのか、諦めだったのか、苦悩だったのか・・・私も時々、もう生きているのが嫌になる時がある。もう、疲れて疲れて、息をするのも嫌になる時がある。消えてしまいたい症候になる時がある。でも私は自殺はしない。なぜなら・・・悔しいから、悔しいから自殺はしない。たとえ裁判に負けて、すべてを失って自己破産しても悔しいから死なない。でも、もし死んだらお化けになって出てきそう~~。

「福島は元気です!頑張ろう福島!」よく目にしたり耳にしたりする言葉だが、どこが元気で何を頑張れは良いのか教えてほしい。誰にも知られず、ひっそりと亡くなっている人達や心に深い傷をおっている人達、前に進めずにいる人達もいる事を忘れないでほしい。今年の3月には借り上げ住宅も終了となり、家賃が発生してくる。復興住宅にも入れず、6畳2間の狭い部屋でクローゼットも無くアパートの階段を上り下りするだけで部屋が揺れ、毎月10万円のローンと家賃の支払いと、裁判でこの先どうなるんだろうと思いながらの生活をいつまで続けていけばいいのか。でもこれが現実。

そして、誰か教えてほしい。なぜ、私達の後ろの土地の地盤が悪く、法面に近い私達の土地の方が地盤が良いとの調査結果になったのか、どうしても私にはわからない。誰かわかる方がいるのならば教えてほしい。

朝起きてまた一日が始まる。何事もなかったかのように日常の生活が始まる。イヤでも時間は流れる。お父さんとお母さんとちぃちゃな僕との生活が始まる。ちぃちゃな僕はやっぱりかっこいいし大好きだ。あ~あ、タイムマシンがあったらなっと妄想にひたり今日が終わる。