経緯

震災までの経緯

01

私たちは、平成18年10月8日に結婚し福島市黒岩のアパートに新居をかまえました。
夫は、物静かで優しい人で、オーディオが唯一の趣味でした。
夫は私に新居を建て私の息子とみんなで暮らそうと言ってくれました。
また、夫は、オーディオルームとシアタールームのある家に住むのが子供の頃からの夢でして20代からコツコツ集めてきたオーディオ類を新居にセットし、休日は隣近所に気兼ねなく音楽が聴ける場所を捜しました。

私は10代の頃宮城沖地震を経験して以来、地震が大嫌いになり阪神大震災や週刊誌などでは近いうちに90%の確率でまた宮城沖地震が発生するなどと報じられていたこともあり、とにかく地震に強い建物に暮らし、地震がきても絶対安心できる建物を造りたいと考えていました。

私達は、平成21年3月、福島市北部の住宅展示場に行ったところ、一条工務店の展示建物に出逢いました。その建物には、作り付けのテレビボードやシアタールームがあり、夫は、趣味だったオーディオがセット出来ると興味を示し、私はキッチンや家具収納に興味を持ち、営業担当の話を聞いてみる事にしました。すると、営業社員の方はパンフレット等を示しながら、一条工務店が家作りで一番心がけている点は地盤と基礎である事を強調されました。例えば、「着工前の全ての現場に、地盤調査を義務づけています。」と題し、「建築トラブルの約7割が『地盤』がらみと書かれています。

「建物の耐震性がいくら高くても、地盤が弱くては家が傾いてしまう不同沈下を起こしかねません。そうしたトラブルを防ぐには徹底した地盤調査が不可欠です。貫入抵抗などから地盤の強さや上層の攻勢を判定。これらに基づき最適な基礎工法の選定を行い、お客様に提案します。一条工務店と一緒に、安心して地震に強い家づくりの一歩を踏み出していただけるのです。」と書いてありまた、「頑強な『高耐久・高耐震基礎』を採用しています」と題し、「マグニチュード7.5を記録した阪神淡路大震災においても、一条工務店の家は全半壊ゼロでした。その当時の基礎仕様に改良を加え、強度を更に高めたのが『高耐久・高耐震基礎』です。この耐震設計が巨大な地震エネルギ-を地面に分散させて逃がすことにより、建物をしっかりと守りぬきます」などいかに一条工務店は地震に強いかが強調されていてこの会社なら信頼できる思いました。

結局、私達は、その展示場で他社の建物も見学しましたが、「一条工務店」の建物が地盤や基礎に最大の注意をはらって家づくりをしていると感心し、また、オーディオル―ムやシアタールームも作れる自由設計が可能だと言われ、「一条工務店」で家を建てようと思うようになりました。

02
平成21年4月に私達は、建築請負契約をすることになりました。その際、契約書に署名しようとしたところ、契約書に記されていた番地が隣家の番地になっていてたため、そのことを指摘しましたが、後日訂正するから、とにかく今署名してほしいとせがまれ、番地は重要の記載事項であり、そんな重要な誤記をしたまま契約書に署名させる心情が理解できませんでしたが、不審に思いながらも、強くせがまれたため、署名をしました。しかし、その後も訂正されないまま本社に契約書が提出されたため、1年後の確定申告時に税務署の方から指摘されるまで、このことを忘れていました。

03
また、その際、「一条工務店」から「一条工務店で家を建てた人からの紹介の場合、紹介者とされる側に「10万円」の謝礼があり我が家にも割引制度が利用できるので、誰か「一条工務店」で家を建てた知人はいないかと尋ねられたが「一条工務店」で家を建てた知人がいないため割引制度については断りました。それでも営業担当があまりにもしつこく促すため、友人の知人が「一条工務店」で家を建てたと教えてもらい仕方なくその友人の知人に紹介者になってもらう事にしました。ところが、いざ申請してみると「後付け紹介」は適用されないとの返答でした。今更そんな事言われても私達としては、お願いした後だったので営業担当者から紹介者へ謝罪するよう要請しました。

「契約書の誤記」「実行されなかった割引制度」の件があり、この頃から営業担当者に対して不信感を持つようになりました。
営業担当者は、あまりにも未熟でスキルを持たないためか、それとも、故意だったのかは分かりませんが、打ち合わせの都度、資金金額がオーバーしたり突然50万円安くなったので息子さんの部屋をもう少し広くしますかと言ったと思ったらやっぱり出来ませんと言い最終的にはかなりオーバーした金額となり、なんていい加減な営業担当者だろうと不安感が増したため、契約撤回を伝えたところ、対応にあたった別の営業担当者が「予算オーバー分は自分ともう一人の営業担当者とで責任を持って負担します。是非考え直して下さい」と土下座しました。私達は契約後に更に代金が打ち合わせの都度、上乗せされるという営業の仕方に疑問を感じただけで、商品自体が気に入らないわけではありませんでした。むしろ一目ぼれでした。私達が重視するのは「一条工務店」の地震等への安全に配慮した建物であり、デザイン、作り付けの家具、そして何より主人の理想オーディオルームやシアタールームが実現できると言う事が第一だったので、思い直し、契約を再開させることにしました。

04
後日、営業担当の上司が誓約書を持ってきたので内容に目を通すと本当に出来るのかしらと言う内容でした。
見積内容を照らし合わせる中でこんな事本当に実行するのは困難だろう思いました。
そこで「申し訳ありません。精一杯努力したのですが出来ませんでした。」と言う一言でもあれば良かったのですが、最後まで「大丈夫できます。出来ます。」と言い通しました。結局インテリアは約束通りでしたが、エアコンは1台だけで、外構は半分は砂利をまかれました。そして営業担当の口から出た言葉は「安齋さんのせいで家庭不和になった。」と訳の分からない言い訳でした。別にこちらから強制した訳でもなく、一方的に誓約書を持ってきて反故した場合は法的処置をお取りになられても良いと書いてあったが、馬鹿らしいのでそのままにしておきました。できない約束はしないでもらいたかった。

営業担当が一方的に持ってきた誓約書なのに、なぜ家庭不和を引き合いに出すのかが意味不明でした。

05
地鎮祭でのお祓いの席で、神主さんが住所の番地を読み間違えました。番地違いを指摘したところ、神主さんは原稿を送付する際に確認したとの事でした。普通に考えて神主さんは渡されたものを単純に読むだけだし、読み間違えるとは思いません。
ずさんな契約書の事もあり不信感は募るばかりでした。

06
主人からのオーダーである「オーディオルーム」と「シアタールーム」の電気系工事が何回言っても出来てませんでした。
たとえば、電気配線の工事中、主人は言った事が伝わっているか心配だったので何度も足を運びました。その中で「オーディオルーム」と「シアタールーム」のスピーカーを通す配管の工事ではじめに見たのはコンセントのパネルの一部から配管がむきだしの状態で2本出てました。「シアタールーム」も同様でむき出しで出ていました。いくら物の後ろで見えない所だといえこれはないと思い電気工事の方にこれで作業は終わりですかと問いただすと終了しましたと言いました。
営業担当者にこの状態で引き渡されても困ると言ったが「残工事」と言い他のお客さんが待っているからと帰ってしまいました。その後現場監督に図を書いて説明したが、何度言っても出来ませんでした。スピーカーケーブルの配管の取り入れ口をコンセントのパネルから出すのではなく壁に穴をあける方法でお願いしますと妥協した形で伝えすぐに電気屋さんに工事をしてもらおうとしたが、今日は無理と言ってきました。しかしこちらも、翌日にオーディオ類の引っ越しを業者に頼んでいたため今日中にと強く言ってなんとかやってもらいました。この時電気屋さんは不満そうな顔をしていました。でも解らなかったら主人が何度も足を運んでいたのでその時に相談してくれれば残工事にはならなかったと思いました。

07
テレビボードの中にAV機器を収めるようになっていたため、あらかじめ機器のサイズを実測してもらい、更に寸法を書いて渡しました。ところが入るはずのAV機器が入りませんでした。実際のところ展示場に現物があるのに確認してなかったと思います。その際に営業担当の言い訳は「ウーハーのサイズしか計って無い」でした。顧客の要望を理解してないどころかAV機器を実測した事や提供した仕様書の意味は一体何だったのだろうと思いました。普段はおとなしい主人がさすがに憤慨して尋ねるとあろうことか逆に営業担当がブチ切れし怒鳴り散らしてきました。なんで一番大事な引き渡しの記念すべき日に怒鳴られなくてはいけないのか解りません。せっかくの記念すべき引き渡しは台無しとなってしまいました。挙句の果てに「安齋さんだけがお客じゃない」と言われました。これはあんまりだと思いました。

08
その後その営業担当は2週間後に約束していたアフターケア、2週間経過後も全く音沙汰がなく2度と現れる事はありませんでした。高い買い物でも引き渡してしまえばお客なんてどうでもいいのだろうかとおもいました。誰にもアフターケアしてもらえないのも困ると思い今までのいきさつを福島の統括責任者にすべて話し、別物みたいな形状になってしまったテレビボードも直してもらいました。

09
契約前、営業担当者から「高気密、高断熱で冬暖かく、夏はすずしいですよ。」と繰り返し言われていましたが、いざ住んでみると思ったように恩恵が感じられず、隙間風まで入ってきました。一条工務店にそれを尋ねると「安齋さんの家は在来工法です。」と言われて話が違うと思いました。営業担当者は自身が販売している商品がどのようなものなのか理解していないと思いました。

10
なによりも、私達夫婦が感じたのは、小さな地震なのに激しく揺れる点でした。
私達は、地震に強い家と強調され、それが一番の理由だったのに、実際に住んでみると震度1ないし3の地震でも揺れが異常に大きく感じられ、震度3の地震ではリビングに飾ってある時計や小物類が床に落ちて壊れてしまうようになりました。
寝室でゴルフボールやビー玉を転がすと、西の方に転がり、クローゼットを開けたままにしていると、扉が動いていて、おかしいなと感じていました。
そのうち主人は寝ていると西に頭が沈むような感じがして平衡感覚に異常を感じるようになりました。私は台所の作り付けの台と床との間に、建てた時には無かった隙間を見つけ、変だなって思ってました。その後も頻繁に揺れが感じるようになり流石に不安になりました。また、翌年の2月頃、隣の敷地に家を建てる予定の方の依頼で地盤調査の業者の方が地盤調査してました。たまたま、その日は家に主人といたので、その業者の方に話を聞く機会がありました。その方によりますと、この土地は地盤が悪く何本も杭を打たないと駄目だと言われました。その時、私は我が家はただのべた基礎で地盤改良も杭も打ってないと思いました。また、前のお家の方にも話を聞いた所その方は家を建てる時に業者の方から西が弱いと聞かされ何だかの対策はとったとの事でした。
そして平成17年のお盆に結構大きな地震がきた時道路に亀裂が入り、その方の駐車場が被害にあった事を教えてもらいました。なんで地盤調査した敷地より我が家の方が法面に近いのにただの「べた基礎」なのかおかしい、だからこんなに揺れるのかと思い平成23年2月に一条工務店に地盤の再調査をお願いしました。その際に今までの経緯を統括責任者に話しました。
調査結果に異常は認められないとの事で「安心して住んでください、一条の家は震度7まで耐えられます。」との事でした。私達は異常が無かった事がおかしいと思いました。
また地震保険も営業担当者から震度7まで耐えられる家で大きな地震の時は家の中にいた方が安全ですよと言われ火災保険しか入っていませんでしたが、あまり信用できないと思い平成23年2月20日に地震保険に加入しました。

11
平成23年3月11日、東日本大震災が起き、福島市の震度は「5強」でしたが、我が家は全壊しました。

その時夫は我が家におりまして、あまりの揺れの激しさにテーブルの下に入るのが精いっぱいで次々と物が倒れ壁がバキバキと音をたてて割れ、250㎏もある蓄熱暖房機が動いて迫ってきて、もうこの世の終わりだと思ったようです。想像を絶する揺れでこのまま死んでしまうのではないかと思ったそうです。我が家がこれだけの壊れ方をしたので、外の世界はもっと酷いと思い、揺れが収まってきたので外に出ようとしたところ斜め前の奥さんが「安齋さん大丈夫?家でテレビでも見る?」と声が聞こえたそうです。夫はえっ!?テレビ?なんでテレビなんて見れるの?我が家のテレビは無残にも倒れてしまっているのにと思いおそるおそる外に出で目を疑ったそうです。確かに、前の道路は崩れていました。近所の瓦が落ちている家もありましたが、その他は別に目立って酷い所は無かったそうです。実際、斜め前の奥さんの家はお手洗いの隅の壁紙がよじれた程度しか被害はありませんでした。また、道路が落ちた目の前の家も地盤と基礎を見てもらった所異常は無く今年3月道路工事が終わっ時点で帰宅できました。
私はその日仕事で本宮の職場にいました。確かに揺れは今までに経験した事が無いような揺れでしたが、物が倒れたりという被害はありませんでした。ましてその職場は6代続く老舗で築100年は経っているそうです。
揺れが収まり、自宅へ向かう途中も信号は止まっていましたが、目立って倒壊している建物も無く、我が家も大丈夫だろうと思い帰宅しました。自宅に着くと夫が家の前で茫然としている姿が目に入りました。慌てて家の中に入った所、壁にはひびが・・・物は全部倒れ、引き戸も倒れ、出窓の扉は砕けて飛び壊れ、足の踏み場も無い状態に一体この家で何が起こったのだろうと思いました。

12
震災後、一条工務店の南福島展示場の営業担当に来てもらいました。家の中の状況を確認してもらおうとしたところ、「大丈夫です。」と言い家の中には入らずヘルメット2個渡しただけで帰ってしまいました。一体「何が」「誰が」大丈夫なのかと思いました。その後何回電話しても忙しいと言われ続けたが主人が電話口で怒りだしたところ福島営業所の統括責任者と営業本部長が来ました。家の周りと家の中の被害状況を確認すると2人で土下座をして「申し訳ありませんでした。」と謝ったので非を認めたと思いました。そして「今すぐ仮住まい用意します。」と言って帰っていきました。
その時調査したいので鍵を貸して下さいと言うので渡しましたが家の中に入る時はまだ片付けも済んでおらず、家財もある事から、調査時には一報断りを入れて下さいと言っていたのにもかかわらず、近所の奥さんからの連絡で「誰か家の中にいるよ」と言われ駆けつけてみると一条工務店の社員が勝手に我が家に入り片付けや調査をしていました。家の中には壊れたとはいえ私達の財産があったのでやり方がおかしいと思いました。「仮住まいを用意します」と言ってたのに渡されたのは何件かのアパートの物件でこの中から安齋さんが自分で契約してお金を払って住んで下さい、と言われた。
そんな事言われてもお金も無いし「仮住まい用意します」との意味は一条工務店が用意するものだと思ってました。結局自分達でアパートを探して引っ越すまで1ヶ月近く避難所で生活していました。

17
一条工務店側に調査を任せておいても進展が無く家屋が全壊になった原因が不明確なままなので自力で調査会社に調べてもらう事となりました。壁の一部を剥がしてみると「ホールダウン金物」という補強金物のナットが緩んでいたことがわかりました。
5ヶ所のホールダウン金物が緩んでいたため、これは締め忘れではないかと言ったところ、一条工務店によると「地震でホールダウン金物のナットは緩みます」と言う事だが、緩んでしまったら補強金物の意味がないだろうし、今回震災にあった一条工務店の他の家のホールダウン金物も緩んでいるはずだと思います。次に大きな地震がきた際にはホールダウン金物の効果は期待できないという事になると思いました。

16
その後調査会社に依頼して基礎の選定や造成の仕方に問題があったのではないかと申し出たのですが、一条工務店は天災だと言い張り一歩も譲らず見舞金として5万円を置いていきました。その姿にあまりにも誠意が感じられませんでした。調停も不調に終わり弁護士の先生と相談しまして裁判する事となりました。
これが天災だとすると一条工務店で家を新築すると「震度5強」の地震が来ると全壊してしまうとの事です。
パンフレットに書いてあるように阪神淡路大震災で一条の家は全半壊ゼロを確認しましたと書いてあるのは何なのでしょうか。

18
福田組と私達のこれまでの経緯についてお話します。私達は主人の趣味のオーディオルームとシアタールームが作れて、大音響を出しても隣近所に迷惑をかけずまた2交替勤務の主人の為、日中も静かで広い土地を探していました。そんな中「南福島ニュ-タウン」という住宅地に好条件の角地が見つかり、一条工務店を介し購入しました。
私達は福田組にそこの土地は盛土だとの説明は受けてません。震災後2度ほど福田組の担当者と話し合いましたが、天災だと言い保証はしないと言われました。では造成地に家を建てたら「震度5強」の地震で全壊するとの事かと思いました。

20
その後、独自で調べたところ、平成17年8月16日に宮城県沖でマグニチュード7.2の地震があったそうです。その時の震度は福島市で震度5弱でした。その地震で西側の道路に亀裂が入り隣の家の駐車場に被害があったそうです。今回の地震ではそっくり同じ所が被害いに遭い道路は崩れ落ち隣の家も被害に遭いました。
この土地の件ですが、我が家をどこのハウスメーカーで建てようかと検討してまして他のハウスメーカーの営業の方の話も聞いて検討してましたが、最終的に一条工務店に決めましたと伝えた所、このハウスメーカーの方から「あそこは盛土と切土がまじってますので気を付けた方が良いですよ。」と言われました。
その事を一条の営業担当に伝えた所、後日等高線を表した用紙を持ってきて、あの辺の土地では安齋さんの土地が一番強いので安心して下さいと言ったので私達はすっかり信用しまして安心してました。
また、2回目の地盤調査の報告書の中にも等高線を表したページがあり、やはり一条の方からあそこの土地は安齋さんの所が一番強いので安心して下さい、と言われましたが、その時は少し疑問を感じました。

初めに調査を依頼していた方に中に入ってもらい話し合いをしていましたが、こちら側がホールダウン金物の緩みを指摘した所、一条側が話し合いでは解決できないと思うので、調停にしますと言われました。
普通はこちら側から調停や裁判を起こすのではないですかと質問した所、そうしますと安齋さん側に印紙代というお金がかかってしまうので、一条側でしますとの回答でした。私達は調停というのは経験した事も無いですし知識もありません。
そうしていた所、福島簡易裁判所より調停期日呼び出し状が送られてきました。中を見てみますと、本件の建物は地震による被害であり一条側には一切責任は無いというような内容でした。 ですので私達は地震に強い家を探して地盤調査をしっかり行っている一条工務店を選んだ訳で「震度5強」で全壊するのはおかしいと主張してきたのではないかと思いました。
私達が一年間あの家に住んで体験した事を伝えているのに書面だけで判断するのには納得いきませんでした。私達は専門的な知識をもっておらず、このままでは泣き寝入りになってしまうと思っていたところ、現在の弁護士先生とめぐり合う事が出来、私達の話を聞いてもらい、今回、裁判という経緯になったのです。

私達にとってマイホームを建てる事は夢でした一生に一度の買い物でした。
本来マイホームというのは仕事に疲れて帰ってきて、家族が集まりくつろいで、一番安心できる場所だと思います。でも安心できる家ではなかった事が残念です。
家は生き物だと思います。子供のように毎日手入れをしてあげて、家主と一緒に成長するものだと思うのです。
私達は子供を失ってしまったようなものだ。今とても悲しく淋しいです。

人は夢や目標があるからこそ日々頑張れると思います。
私達は原発の被災者でも津波の被災者でもありません。しかし、帰る場所や家を失ったのは同じ被災者だと思います。これから先どうなっていくのかと考えると不安でなりません。
私達にとってあの家は本当に大好きでかけがえのない宝物でした。

平成24年11月