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「僕」  2009年  春   

でも・・・・・・
話が進むにつれて、お父さんとお母さんは心配顔になってきている。
どうも営業員さんの話が段々と信用出来なくなってきているらしい。
コロコロと内容が変わり不信感が芽生えてきたという。、
「でも、前は現場監督していたって言ってたし、大丈夫なんじゃないの?」ってお母さんが言ってたり
お父さんは「大きな会社だからちゃんとしてると思うよ」って言ってた。
なんだか、色々あると僕も不安になってきた。

家族を守る家として、ちゃんと僕は建てられるのだろうか・・・・・・
モヤモヤとしたのが生まれてきた。

「僕」  2009年  春  5月

だんだんと僕が図面上で形になってきた。
間取りは5LDK
1階にはダイニングキッチン、リビング(シアタールーム)、和室、寝室、そしてオーディオルーム!
2階にはお母さんの息子さんの部屋が2室と、いつか息子さんが結婚して子供が産まれた時の為にお母さんは孫の部屋まで作った。
ここで僕の家族を紹介します。

このお家に住むのは、お父さん、お母さん、そしてお母さんの息子さんの3人だ。
実はお父さんは初婚だがお母さんは再婚だ。
お母さんは息子さんが2人いて、長男が3歳、次男が2歳になる前に残念ながら離婚してしまい女手一つで子供達を育ててきた。
その頃のお母さんの事は僕は知らないが子育てに必死だったらしい。
そして14年後お父さんにめぐり合えた。

当時、上の息子さんはすでに結婚をして子供にも恵まれお母さんの実家に住んでいた。
下の息子さんはまだ遊びたい盛りでまぁこれがやんちゃな息子であった。
お母さんはやんちゃな息子が心配で仕方なかった。
そんなお母さんの気持ちを分かってか、お父さんは家を建てる時には息子さんも一緒に住めるようにしようと言ってくた。
お母さんはその気持ちにとても嬉しく感謝していた。
お父さんとお母さんには子供がいない。と言うよりできない。
なぜなら、お母さんはお父さんより8歳も年上だから・・・

2人が出逢ったのはお父さんが31歳、お母さんが39歳の時だった。
お父さんは初めてお母さんを見た時、ズッキュ~ンときて恋に落ちたんだって。
大恋愛だったそうだ。
その頃のお母さんは今よりず~とず~と痩せていて可愛かったんだよってお父さんは言っていた。
僕は今のお母さんしか知らないが、可愛いと言うよりはたくましく見える。
だって今のお母さんはまるで・・・・・・・想像にお任せします。
そいいうお母さんもお父さんの事を「世界一かっこいい!」と言っているし、  ヤレヤレ

色々あったそうだが、お父さん37歳、お母さん44歳で2人は結婚した。
2人はとても仲が良い。いつも一緒に行動している。
お父さんは物静かで、温厚でめったに怒らない。いつもニコニコしている。
でも怒ったら怖い。僕の事で何回か工務店さんに怒った時は本当に怖かった。
あんなお父さんを見たのは初めてだったとお母さんは言っていた。
逆にお母さんはこれまた正反対で気が強い。
お母さんいわく、子供2人女手一つで育ててたらこうなったと言い訳しているけど。
何かというと10倍になって返ってくるのでお父さんは口答えしない。
でも本当に仲が良い。
いつだったかお母さんに「お父さんとは喧嘩しないの?」と聞いてみた。
そしたらお母さんは「まさかこの歳でお父さんと結婚できるなんて夢にも思わなかった。まるで若い女の子みたいにドキドキしてときめいて、恥ずかしいね~。」って年甲斐もなく真っ赤になっていた。
「でもね、ずーと一緒に居たいけれども、年齢から考えると普通の人の半分位しか一緒に居れない、だから
喧嘩する時間がもったいの。」ってコロコロ笑っていた。
聞いてる僕が恥ずかしくなってきた。

そういう訳で息子さんが結婚したら2階にお嫁さんも住んでもらって、2世帯住宅になる。
僕は賑やかなのが好きだ。
ちっちゃい子供の声は時にはうるさくと思う時もあるが静かだと心配になり、みんながリビングに集まって色んな話をして、一緒に食事をして、良い時もあればそうでない時もあるけれども。
そんな風景を僕も一緒にあじわって・・・
みんなが安心して住めるように僕がしっかりみんなを守るよって形になっていく度に思っていた。

 

「僕」  2009年  春  4月

それから何軒かの住宅展示場に見学に行ったらしいが、僕の事が頭から離れず、あしげに2人は僕の所へ通った。
でもそこの工務店さんは土地は売っておらず、自分達で見つけないといけないらしい。
お父さんはオーディオが趣味で今は実家に置いてあるオーディオ類を新居に持ってこようと思っていた。
お父さんはお父さんの叔父さんの影響で音や機械に興味を持ち20代の頃からオーディオ類を集めていた。
このオーディオ類に間してはまた別の機会にお話しするとして・・・
とにかく、大音響を出しても近所に迷惑にならない広い土地を探していた。
色々と土地を探していた所、条件にぴったりの土地が見つかった。
そこは高台の角地にあり景色も素晴らしい所だった。
隣にはラベンダー色の綺麗なお姉さんの家が建っていた。
僕はちょっぴりドキドキした。

でも家を建てるのはちゃんと地盤調査をしなくてはいけない。
営業員さんは「当社では自社で地盤調査課というのをもっており、きちんと安全な土地かどうか調査します」と言っていた。
お父さんは「そうか、いくら建物がりっぱでも土地が悪いんでは話にならないよね。」言って地盤調査をしてもらう事になった。
地盤調査にはお父さんとお母さんも立ち会うそうだ。
連絡が来たのでその場所に行ってみると、もう地盤調査は終わっており、営業員さんと一緒に写真を撮らされた。
その日の営業員さんはスーツ姿ではなく作業着だった。
お父さんは営業員さんが地盤調査をするのかと思ったらしい。
お母さんはなんかあっけないな~と思ったらしい。

その後何度も検討を重ねた結果契約する事にしたという。
いざ、契約書にサインしようとした時、家を建てる番地が隣のラベンダー色のお姉さんの家の番地になっていたのでお父さんが指摘した所、後日訂正するので今サインしてほしいと言われた。
お父さんとお母さんはその時はまだ営業員さんをすっかり信用していたので、「まあ、人間だから間違いもあるよね、営業員さんも大変だろうし、後日訂正するって言っているしね。」という事でお父さんは契約書にサインをしてしまった。

これが僕の誕生の始まりでもあり後に壊れていく始まりでもあった。

「僕」   2009年  春

僕が意識として生まれたのは何時だったろう。
ずーと前から僕はお父さんとお母さんの頭の中、心の中で漂っていてそれは意識というほどでもなく
ただぼんやりと形にもなってなくてゆらゆらとしてたのではないだろうか。

その頃お父さんとお母さんは結婚してまもなくアパートに住んでいた。
たぶんあれは3月のお彼岸の日で天気も悪く炬燵に入っていてテレビを見ていたらしい。
突然お父さんが「住宅展示場を観に行かない?」とお母さんを誘った。
お母さんは「え~!?こんな雨で天気が悪いのにー」って思ったらしいけど少し興味があったので
行ってみようかと思ったらしい。

住宅展示場はそれはそれは素敵な家々が立ち並び夢のような所だったのよって、あとでお母さんは
僕に教えてくれた。
何軒か見学しているうちにある一軒の家の前で足が止まり、入ってみようかと思いその家に2人で入っていった。

そこで僕に出逢った。僕?正式には僕ではない。
僕の元?  僕の基本形?  よくわからないけれども・・・・・・
とにかく僕にお父さんとお母さんは一目惚れしてしまったらしい。
なんせお父さんはオーディオが趣味で、そのお家にはシアタールームがありおおきなテレビボードもあって
お父さんは釘づけになっていた。
お母さんはキッチンから離れずあちこち扉を開けたり閉めたりのぞいたり忙しそうだった。
そして営業員さんの話を聞く頃にはお父さんは目が輝き、お母さんの目はハート型になっていた。
営業員さんの話にも2人は「ほー」とか「へぇー」とか感心して話を聞いていた。
またこの家の特徴はお母さんの大嫌いな地震にも強く、なんと阪神淡路大震災で一件も全半壊がなかったと聞かされ、改めて「へぇ~」と感心したらしい。
そして帰る時には両手いっぱいのパンフレットを持って顔を紅潮させていた。

 

「僕」   2013  7月

今夜も暗くて長い夜がやってきた。
近所のお家では夕飯を用意している音や夕食の良い匂いが立ち込めている。
子供達は夏休みに入ったらしく、にぎやかに家路に帰る笑い声が聞こえる。
だいぶ日が落ちるのも遅くなってきた。
西の空に夕日が沈む。
僕は山々に静かにゆっくり沈む夕日を見るのがお気に入りで大好きだった。
ポツリ ポツリと家々の明かりが灯り始めた。
そろそろ、みんなが帰ってきて一家団欒の時間が始まるのかな。

僕の家には誰も帰ってきてはくれない。
家の中も真っ暗  玄関の明かりもない。
時折、何かしら物音がするので、お父さんとお母さんがやっと帰ってきてくれたと思い
嬉しさよりも「なんで今まで帰ってきてくれなかったの!?僕はずーと一人ぼっちで淋しかったんだよ。」って
泣いてそして甘えようと思って耳をすませるけれども空耳だったのか、玄関の鍵を開ける音は聞こえない。  また静けさと暗闇がもどった。

ここ一か月位お父さんもお母さんも僕に会いに来てくれない。
7月に入って7日に聞き覚えのあるエンジンの音がしたので見てみるとお父さんとお母さんが車で来てくれた。久しぶりに会えるのでワクワクして待ってたのだけれども、車から降りてこないでじーと僕を見つめて行ってしまった。
なぜだろう?  なんで家の中に入ってきてくれなかったんだろう?
ただお母さんの目には涙がいっぱいあって今にもあふれそうだった。
とても悲しそうな顔だった。
どうしたのだろう?

僕はわかっている。  わかっているよ。 もう二度と誰も帰ってきてくれない事。
だって僕は壊れてしまったから・・・
あの日・・・・・・
2011年3月11日 午後2時46分
あの日を境にして僕達 家族の生活は一変してしまった。
僕はまだ1歳の誕生日を迎えたばかりだった。
あの日とは東日本大震災がおきた日だった。

 

花が咲きました

前回の「家屋解体」以来少し心が折れてしまったようです。
なんだかな~~という日々が続いていた所、榊の花が咲きました!
真っ白な花です。全部で5輪咲きました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

最近ますます我が家の榊の成長は著しく、新しい芽も出てきて元気です。OLYMPUS DIGITAL CAMERA
これが2本の枝だったとは信じられなく確実に木に成長しています。

よく植物に話かけると成長するっていいますが本当ですね。
それと葉っぱをふくようにしています。

それとなんだかこの葉っぱ見様によってはハート型に見えませんか?OLYMPUS DIGITAL CAMERA
何か良いことあるといいな~

家屋解体

お隣のお家が解体されました。
今までお隣のうしろであまり見えなかった我が家が姿を現しました。

家を新築する時は誰もが経験するように、どんな間取りにしようか、どんな感じにしようか、
キッチンは?  やっぱりIHで食洗機がついていて使いやすくてね、美味しい料理作るからね。
お風呂は?   広くてリラックスできるのがいいね。
リビングは?  みんなが集まって笑いの絶えないリビングがいいね。・・・と・・・
出来上がっていく様子を見て嬉しくてワクワクして  みんなで夢を語りあって・・・
お孫ちゃん達が芝生を駆け回って  春は向こう側の公園の桜を見てお花見して
夏はプールを出してスイカの種を飛ばして、夜は花火をして
秋は芋煮にバーベキュー
冬は寒いからみんなで炬燵にあたりホームシアターでDVD鑑賞して
暖かい家庭を夢みていたけれど・・・なーんにもできなかった。
だって震度5強の地震で全壊してしまったから、
残ったのは34年の住宅ローンだけ・・・
震災前から異常を訴えていたのに・・・

今年度中には我が家も解体されます。
その時私達は解体されるという現実を精神的に受け止められるのか。
その日が来るのが怖いです。
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これが解体される我が家です。
一見普通そうに見えるけど、中に入ると激しい損傷です。北西に傾いて平衡感覚がおかしくなり
気持ち悪くなります。去年はまだ新築のにおいがしてたけど今は下水道臭くなってしまいました。
でも・・・やっぱりかっこいいな。  悲しいけれども。

バーベキュー

5月に入り連休も終わり、最近穏やかの日々が続いています。
バーベキューにはうってつけの季節となりました。

我が家は高台のとても見晴の良い場所に建っていて、晴れた日には吾妻小富士や安達太良連邦がはっきり見れて何時間でもウットデッキに座って景色を楽しんでいました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

本当は2011年の5月にバーベキューパーティーを開催する予定でした。
その頃には芝生もすっかり根ずき走り回っても大丈夫なほどになっているはずでした。
買い揃えたバーベキューセット、パラソル  封を開ける事なく眠っています。
ここに来る度涙がでる。
もう二度とここでバーベキューパティ―はできません。
たった一年でも想い出はあふれんばかりです。

なんで震度5強の地震で住めなくなるほどのダメージをうけなくてはならないの?
なんの為に2回も地盤調査したの?

我が家から見た安達太良連邦です。

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我が家から見た吾妻小富士です。

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我が家の神龍(シェンロン)

この前の猪苗代のペンションの帰りにいつも立ち寄る場所があります。
そこは「世界のガラス館」という所です。
このガラス館の中には私がお目当ての物があり毎年それをガラス越しに眺めてはウットリしてます。
それはガラスで出来たその名も「ガラスのお城」!
色んな角度から光が入りそれはそれはキラキラと綺麗です。
しかし値段が70万円ちょとするものでとても手が出ません
毎年今年はあるかしら?それとも誰かの手に渡ってしまったのかしらと思いつつダシュで二階に上がり
「ガラスのお城」があるとホット胸をなでおろしました。
そんな事を繰り返す何年か前、私の想いが通じたのか非売品となってました。
これで誰の手にも渡るものでは無くずーっと飾ってあるのね・・・たぶん・・・・・
ガラス館に来るたび色んなガラスの置物を購入してお家に飾ってましたが、ぜーんぶ壊れました!
今年は緑の「ドラゴン」を購入して勝手に「シェンロン」と名付けました。
7つのドラゴンボールを探す旅に出なくては・・・
願いが叶うのなら、あのお家に何事もなかったかのように帰りたい。
「ただいまー!!」って帰りたい・・・
被災している方々は皆同じ想いだと思います。

映画の「ドラゴンボールZ 神と神」観に行きました。
かっこよかった。
我が家のシェンロンです。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

恒例行事

私達夫婦は毎年、主人の誕生日の12月に猪苗代のとあるペンションに出かけるのが楽しみの一つでした。
でも去年の12月は何やかんやとあり行けずじまいでした。
一年の締めくくりの恒例行事なのにな~なんかな~・・・やっぱり行きたい!
オーナー夫婦にも12月にまた来ますと言ってたのに来ないと心配してるかな~って思ってました。
二人で話あってやっぱり行こうと予約のTELいれた所、去年来なかったので心配してたとの事。
忘れられてないってのは本当に嬉しくて行ってきました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

う~んやっぱり最高!!今回で7回目です。
何が最高って露店風呂ですね。このペンションは一日4組しか宿泊できず口コミでも非常に人気の高いペンションです。ゆったりのんびり久しぶりに2人で入るお風呂に年がいもなくはしゃいでしまいました。

またなんてたって食事ですね。食いしん坊の私達はオーナー夫人の料理に改めて感激して、オーナーの打ちたてのお蕎麦がまた美味しくて!福島はお蕎麦が有名ですけど、オーナーのお蕎麦はその中でも最高です。オーナーが仕事一段落した後にいつもワインを一緒に飲むのですが・・・なんか私お酒に弱くなってしまいました。

お部屋はいつもの205号室
ちょと酔いも回ったので主人を置いて先に高いびきです。ZZZOLYMPUS DIGITAL CAMERA

朝は早くに起きて内風呂へ   この内風呂も広くて気持ち良いー
朝食は朝から豪華で赤飯までつきました。
こんなに食べれるかしら・・・完食です。ごちそう様でした。
お腹いっぱい  久々のベットに寝れて気持ちいい~ 楽しかったです。
今年は12月にも来る事を約束してペンションを後にしました。
また現実に戻ります。